俺の履歴書 #1【五十嵐智昭】

 

飲食人の皆さま!お元気さまです。

ご活躍されている飲食人の方は、一体どのような道を歩んでこられたのか。
ずっと持ち続けている想いは何なのか。
そんな飲食人の歴史を語っていただく新シリーズ、「俺の履歴書」

初回は、板橋で大人気のダイニングバー『ワヰンバル』など3店舗を統括する、五十嵐さん。
最初はサラリーマンから始まったという仕事人生。どうして飲食を選んだのか、選んだ先に出会った飲食の魅力、その想いを語っていただきます!

飲食業界に入ったきっかけ

こんにちは!
板橋のダイニングバー『ワヰンバル』など3店舗を統括している五十嵐智昭です。

今回は、私の飲食に入ったきっかけや、ウチのボスMasa(マサ)との出会いについてお話ししたいと思います。

飲食業界に入ったのは、23歳の時でした。
当時サラリーマンをやっておりまして、1日ずっとデスクワークでした。毎日決まりきった事務作業は退屈で、時には寝てしまったり(笑)
ほとんど誰とも喋らない仕事だったので、とにかく誰かと話したい!と思っていました。

飲食人の格好良さに惹かれ、転職を決意

飲食業界に転職したきっかけはシンプルで、
お店で働く飲食人が格好いいな〜と思ったからです。
週5デスクワークの憂さを晴らすため、週末はよく飲みに行ってました。
そこで出会う飲食人は、とにかく格好よく見えて、何より楽しそうで眩しかったんですよね。
・元気の良いお出迎え
・たくさんの料理を運ぶ姿
・笑顔を絶やさない接客
・素早いバッシング
・ちょっとした気遣いの言葉
・外に出てのお見送り
などなど。
机と向かい合っているだけの自分にとって、飲食業界が輝いて見えたんです。

自分も向こう側に入りたい!
そのうちそう強く願うようになり、転職を決意して飲食業界に飛び込みました。

始まりの仕事は

最初に働いたのは、チェーンの居酒屋です。
子供の頃から料理を作るのが好きで、目の前の人に美味しい料理を提供して喜ばせたい!という気持ちがあり、調理場を希望していました。

しかし、配属されたのはホール、しかも店長候補として。いきなり店長業務を任されてしまい、毎日業務をこなすのが精一杯でしたね。
ランチ営業もやっていたので、労働時間は夜8時~朝8時、またはその逆だったり…

自分に期待してくれていることは純粋に嬉しかったです。お客さんとお話しするのも楽しいですしね。
しかしどこかで本当にやりたいことはコレじゃないな、と感じていました。

働いてみてわかった、本当にやりたいこと

飲食業界で働く人たちに憧れて、飲食店で働くことを決意しましたが、とにかく料理を学びたい、という想いが強かったです。

生涯、飲食業界で働くことを決意していた私は、既に将来的なヴィジョンを思い描いていました。
この先、仮に自分のお店を持った時に必要なのは、何より料理ができる腕だ。料理の技術は1日では習得できない。
そのため、今のこの料理を学べない環境にいても仕方がない、そう思いこの店を去る決意をしました。

転機は突然の出会い

次に入ったのが、大宮の洋風居酒屋です。
ここでは、イタリアンから中華料理、和食、とにかく何でも出していました。カルパッチョやパスタ、洋風おつまみなど、オールジャンルでしたね。
そんなお店だったので、調理場にはさまざまな経歴のスタッフがいました。イタリアン、中華、和食割烹で修業したスタッフまでいました。

そこで私は希望していた調理場に配属され、彼らの下で料理の全てを学ぼう!と意欲に満ち溢れていました。
自分から頭を下げて、頼み込んで教えてもらい、今思えばがむしゃらでしたね。

圧倒的カリスマ

そんなある日、運命的な出会いをします。
それが今のボス、Masa(マサ)でした。

マサ社長と私は、よく一緒に仕込みをする機会があり、仕事をよく見ていました。とにかく手さばきが凄かったんです。誰よりも早く来て仕込みをし、難なくこなしてしまう。
そして誰よりも技術力があり、全くレベルが違うと思いました。

それからは「この人はスゴイ」とすぐに教えを請い、近くで技術を吸収していきました。
営業終了後は一緒に飲み歩き、お店のことやプライベートなこと、将来のことなど、いろんな話をしました。

ちなみに私は25歳で結婚しましたが、その時のスピーチはマサ社長でした。
この出会いが20年近く続き、そして一緒に働ける日が来るなんて、この時は夢にも思っていませんでしたね。本当に幸せなことです。

将来を見据えて選んだステップ

マサ社長はその後、洋風居酒屋を辞め、後に独立して板橋にお店を開きました。

私はそのまま残り店長に昇格、10年働きました。
ちょうどその頃子供が生まれまして、妻から「昼の仕事にしてくれないか」と言われ、次へのステップを考え、洋風居酒屋を去ることにしました。

飲食で昼仕事はないかと、ハローワークに通いました。そこで見つけたのが浦和の魚屋で。
「コレだ!」と、すぐに魚屋に転職することを決意しました。

深夜遅く帰らなくて良い、という理由もありますが、魚をさばきたい!という気持ちが大きかったですね。若い頃「魚おろせると格好いい!」という気持ちもなんかありまして(笑)

居酒屋から魚屋へ転身

魚屋に転職した私は、長靴に長エプロン、出刃包丁を持って働くスタイルに変わりました。
1日中、魚をさばき、午後は配達、時には「へいらっしゃい!」と言って接客したりと、魚を扱う仕事に就けて毎日が楽しくて充実してました。

私が入った魚屋のお得意様は、周辺の飲食店でした。魚の買い付けと言えば、築地(現在は豊洲)ですが、浦和から築地までは距離があります。
この魚屋では、築地はもちろん、全国の漁港から直接仕入れていたので、近隣の飲食店や地元のお客様から大変重宝されました。

ここで5年働きましたが、次第に売上が落ちていきました。
若者の魚離れや、個人店で跡継ぎがいないため近隣の飲食店が泣く泣く閉店、魚を卸す店舗が少なくなっていったことが原因です。
仕事は楽しかったのですが私も家族の生活がかかっているので、辞めることを選択せざるを得なかったですね。

デパートの魚屋での訓練時代

再びハローワークに通い、職探しが始まりました。
幸運だったことに、すぐに魚屋の求人を見つけることができました。場所は、浦和のデパート地下の魚屋です。
勤務先もこれまでの場所と近くて通いやすい、そして昼の仕事だったため、すぐに決めました。

デパートの営業開始は10時30分、しかしオープンするまでに魚を全てさばく必要があります。毎日朝6時出勤をし、スピーディーにさばいて準備をする生活が始まりました。

オープンまでの約4時間はまさに戦争でした…
「五十嵐、アジ1箱やっといて」
「イワシ2ケースな」
なんてタイトな依頼は日常茶飯事。常に必死にやるしかない状況でしたね。

1日10時間ひたすら手を動かしていたので、夕方になると腱鞘炎(けんしょうえん)になって、手が痛くなる日々が続きました。(汗)
しかし、仕事は楽しくて、スピーディーにさばける技術、いろんな魚をおろせることが何より嬉しかったです。
時にはマンボーをおろすのを見たり、20~30キロのマグロの柵取りをするなど、個人の魚屋では体験できないことを経験することができたこともいい経験でしたね。

仕事に慣れてきた頃、店長から販売の仕事も任されるようになりました。午前中はひたすら魚をさばき、午後は売り子として奥様方に魚を販売していました。

刺身を作って試食していただくのですが、もっと売上を伸ばそうと白身を調理して試食販売したり、自分なりの創意工夫もしていました。

カリスマからの誘い

仕事も充実している、プライベートも家族と過ごす時間がある。そして、とにかく魚をさばける仕事が好きだったので、仕事に文句なんてほとんどありませんでした。

そんな時、あのマサ社長から連絡が。
マサ社長とはその後も時々飲むなど、親交は続いていました。

既に自分のお店を開き、さらには店舗プロデュースするなど飲食業界で大活躍していたマサ社長。
飲みの誘いかな?と思っていましたが、話を聞くとお店で欠員が出て一緒に働かないか、というお誘いでした。突然の誘いでしたが、また一緒に働けるという嬉しさと、また近くで勉強したいという気持ちが沸き起こり、「やります」と即答しました。

デパ地下の魚屋を辞めた私は、マサ社長が運営する板橋の『ワヰンバル』へ。
そして、3店舗統括するマサ社長の右腕として、働くことになります。

歩んできて思う、飲食業の魅力

飲食業界の魅力は、何と言っても
【いろんな人と出会えること】

魚屋時代には絶対に出会えなかった人たちと、毎日交流できることが楽しいですね。もちろん魚屋も楽しかったですが、毎日同じ作業の繰り返しなので、必ず飽きがきてしまいます。私は特に飽きっぽいので(笑)

しかし、飲食店は毎日違います。
気さくなオジサンが来たり、
ビジネスマンの飲み会があったり、
常連様と話したり、
時にはお客様の仲を取り持ったり(笑)
同じ日がないって断言できるくらい、毎日が違っていて本当に飽きません。

立ち仕事が辛いとか、労働時間が長いとか、確かに辛いこともあるかもしれませんが、何てことはありませんね。好きな気持ちの方がはるかに大きいので。

まあ、強いて言うならば、気軽に飲みに行けないことが辛いですかね(笑)
飲むとなると、営業終了後の朝5時からとかになっちゃうので。たまには夜7時から飲み明かしたいじゃないですか(笑)

ここまで、飲食業の歩みとしてお話しさせていただきました。
振り返ってみると、サラリーマン時代に決意して飲食業に飛び込んで、本当に良かったなと思います。
これまで働いてきたお店での経験はもちろんですが、やはりボスMasa(マサ)との出会い、そして今まで出会ってきた方々との出会いが私の人生を大きく変えましたね。

これからも、毎日が出会い。楽しみで仕方ありません。
これからも飲食人として精進してまいります。

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五十嵐智昭 (ワヰンバル・㈱ガストロラボ)

板橋生まれ埼玉育ちの45歳.板橋で地域密着のドミナント展開するガストロラボ入社5年目.フードプロデューサーのマサとは20年以上に渡る仕事のパートナー.現在は「ワヰンバル」など「Masas(マサーズ)」3店舗の統括を担当.海とビールと浦和レッズをこよなく愛する.整理整頓を心がけているので、メンズばかりのお店でも常に店舗がキレイ!地域密着型の自由満点な店舗運営を皆さんに共有してまいります!